01:たこパの話

「ねえ、人の話聞いてた?」

 明智はしぶっとした顔で呆れた声を出した。自宅のマンションの玄関先、『彼』が立っている。真っ黒な癖っ毛に黒縁のメガネ、Vネックのニットに秋物のジャケットを羽織って左手にスーパーのビニールをさげ、右手にはトートバッグをかかげている。

 たこパだ、と押しかけてきた男は言った。バッグの中からたこ焼き器と書かれたダンボールを明智に見せて。明智は嘆息する。

「僕やらないって言ったよね? ていうか気軽に来るなとも言ってるよね? ねえ?」

 たこパがしたいと言われたのは先週の水曜のことだ。いつものように明智の1LDKに彼がやってきて、いつものようにベッドでやることをやって、いつものようにコーヒーを入れながら思い出したみたいな口調でそう言われた。

「たこパがしたい。来週の金曜の夜はどうだ」

「僕やらないからね。部屋に匂いもこもりそうだし。ていうかキミとやるいわれもないし」

「材料買ってくる」

「いやなんでやることになってるんだよ、大体僕が出張でも行ってたらどうするのさ」

「予定があるなら明智が最初にそう答えてる」

 明智はつくづくこの男がいやになった。「どうだ」というのはそういう意味だったのだ。それに対する明智の態度で在宅までバレている。

 数年前の獅童の件から明智は警察の観察下に置かれながら各種捜査の手伝いをしていて、この頃はほとぼりも冷めてきたので地方への出張も稀にあった。しかし来週は普通に東京だ。

 大学生になって東京にもどってきたこの男とは吉祥寺でたまたま再会し、なんだかんだでマンションを教えてしまったのが仇になって週に二、三度はこんなふうに押しかけられている。

 先のとおり明智は「気軽に来るな」と何度も文句を言ってあるのにこのマイペース男が眉一本動かしたためしはない。きっと地球がほろびてもマイペースにコーヒーを入れているだろう。

 勝手に部屋に上がった男はダイニングスペースの四角いカフェテーブルに荷物を置き、さっさと支度を始めてしまう。明智は苦々しい気分で窓を開けて換気扇のスイッチを入れた。

 ひとり暮らしで広い部屋でもないから食卓は軽く物を置ければなんでもいいと思って単身向けのコンパクトな机と椅子セットを買ったのに、ある日突然身に覚えもない通販が届いて中には彼が使う用の黒い椅子が入っていた。ゆるいカーブのモダンなデザインがこの部屋に合っていなければ即日粗大ゴミにしていたところだ。置いてもインテリアが乱れないからすんでのところでゴミのシールを貼られなかった。

 仕事の続きをあきらめた明智はノートパソコンを片づけて自分の椅子に掛ける。彼は机の真ん中にたこ焼き器を置き、器用な手つきでボウルにタネを作ると大皿に刻んだ長ネギやタコやらの具材を用意した。たこパはしたことがあるかと機械のスイッチを入れながら明智に問う。明智はかたちのいい眉をよせて沈黙した。

(……あるわけないだろ、この無神経め)

 そもそも友人と呼べる人間すらあやしいのだ。向こうから近寄ってくる相手にろくな手合いはなかったし、それに明智は自力で生きるのに必死でそんなものを作るような心の余裕もなかった。一番それに近しい存在を挙げるなら目の前の男になってしまうのが皮肉な話である。

 じゃあこれが初めてだな、どこか機嫌よくうなずいた男が小麦粉のタネを鉄板にそそぐ。ジュワッと気持ちのいい音がした。具を入れるよう言われて明智はしかたなく箸で持ち上げたタコをポイポイとそれぞれの穴に落としていく。

「これも入れるの?」

 冷凍の剥きエビとチーズとウインナー、それから缶入りのコーンが大皿にはならんでいる。無口な彼はうんとうなずいた。好きな具を入れていいのがたこパの醍醐味らしい。店でできたものを買うのとはちがうから、たしかにそれはそうだなと思った。

 パソコン仕事をしていて昼は面倒で抜いたから腹がへっていたし、見慣れない作り方にさすがに気分が高揚して、明智はそれぞれを色んな組み合わせで入れていく。

 しろい煙がジュワジュワと上がっていい匂いがしてきた。細い竹串を差し出され、焼けてきたらそれでひっくりかえすのだという。穴からあふれたタネがくっついてしまわないよう忙しい手つきでひとつひとつの穴によせ、二人でたこ焼きのかたちを作っていく。

「もういい? まだ?」

「もうすこしだ」

 思わず聞いてしまってから、明智ははっとした。浮かれる子どものような質問ではないか。とっさに顔を上げると向かいに座った彼は口もとをかすかにゆるめていて、楽しそうでよかったと言う。明智は赤くなって唇をムッととがらせた。

「こっ、焦げたらよくないから聞いただけだろ! ……別に、楽しんでるわけじゃない」

 そうだなと彼はうなずいた。真顔に見せかけて煽っている声だ。しばらくの付き合いでそうとわかってしまうから腹が立つ。明智が文句を言おうとすると、それがわかったみたいにもういいぞと先手を打たれた。唇を結んだ明智は渋々、たしかに焦げてしまってはまずいから竹串を穴のふちにかける。

「わ、……意外と難しいな。ここを、こう……」

 一思いにひっくり返した方がきれいにいくのだと教えられ、明智は言われるままクルッとやってみた。うつくしいまるい焼き目があらわれ、思わず声を上げる。

「すごいね、こんなに上手く焼けるんだ」

「楽しいだろ」

 明智は今度は否定しなかった。くるんと返すときの感覚が楽しく上手にできると嬉しい。負けず嫌いの明智はひとつでも彼よりきれいに作ってやろうと思って、自分の側のタネをくるくると返していった。何個か失敗してしまったがとてもいい匂いだ。もう食べられると言われて小皿にひとつとる。薬味とソースをかけ、ふうふうと冷ましてカリッとやる。

「あつッ!」

 小皿を取り落としそうになり、明智はあわてて持ち直した。はふ、はふ、と息を吐いて口の中を落ちつかせる。向かいの男に笑われ明智はムッツリした顔で残りのそれを彼の口に突っ込んだ。

「ッ!!!!」

 口もとを押さえて下を向くさまが小気味いい。半分以上残っていたからさぞ熱いだろう。素知らぬ顔で二個目を皿にとり、よく冷まして頬張る。中身がとろとろでチーズが中毒的にうまかった。

「あ、クリームチーズなんだ」

 甘くて濃厚な風味だ。たこ焼きのわりに洒落た味がする。エビもウインナーもおいしかった。コーンがプチプチして甘い。たこ焼きに入れるなんて考えたこともないものばかりだったがどれも味に変化があって楽しかった。ペットボトルを差し出され、オレンジの炭酸を合間に飲むのがよく合っている。あっという間に穴は空になって、二人はせっせと二回目を焼いた。

(部屋は匂うけど、でも、これだったらまたやってもいいな)

 生地が焼けていく音をききながら明智がぼんやり思っていると、彼はふと無口な口をひらく。

「……初めてだった」

「え?」

 なんの話だろうと聞けば、いつだかの学園祭の話をされる。怪盗団の仲間が教室にそろっていて、明智が顔を出したときのことだ。ロシアンたこ焼きとかいうのをやっていて、知らなかった明智がそれを食べた。……苦々しい思い出だ。

「なに、それがどうかしたの」

「あのとき初めてかわいいと思った」

「……!」

 急にこんなこと言うからこの男はたちがわるい。とつぜんドクドクと心臓がうるさくなって、明智はゆるく首を振った。

「……趣味が悪いね。知ってたけど」

 それまでは探偵のかっこいい面だとか、頭のいい部分は知っていたけれど、あのときが初めてかわいかったのだということをマイペースに彼が言った。ばつの悪さと恥ずかしさで明智は返事に困る。

 そもそも自分は男なのだから、かわいいと言われてもイヤだということは何度も伝えてあった。それでも彼は折にふれて明智をかわいいと言う。たとえば朝起きたときの寝癖だとか、新しく買ったタートルネックを着たときとか、最中に明智のうなじを噛むときとか。

 明智はそう言われるといつも、胸のあたりがむずがゆいようなくすぐったいような気分になる。

 男だし、付き合っているわけでもないからそんな風に言われるのは本当に不本意なのだけれど、けれど明智はどうにもそれに弱い部分がある。子どものころ親にも誰にもそんなことは言われなかった。与えられなかったから欲しいとも思わなくて、でもいざ与えられるとどうしたらいいのか扱いに困る。

 明智が黙り込んでいると、彼は、あ、と声をもらす。

「え?」

「たこ焼き。焦げそう」

「!!!!!」

 明智はあわてて手を動かした。なんで気づかなかったのかと責めれば悪びれない顔で、明智がかわいくて見惚れていたからだと彼が言った。やっぱりこの男がきらいだと思った。

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