2024.03.31 06:4318:迷子犬と手袋と彼 その日、彼はわざわざ待ち合わせをしようと言った。 品川駅のコンコースで背の高い時計の前に立ち、明智は先ほどからしきりに腕時計や自分の身なりをたしかめている。「とびっきりのデートにするから、おめかししてきて」 ルブランのスタンプをとうとう二十貯めた明智に先日彼が言った。仕事やなんやかんやで十一月までかかったが、最後のそれが押されたときはさすがに明智も胸がワッと弾んだものだ。彼だって当然いつもみたいに浮かれるだろうと思っていたのに、カウンターの向こうに立った男は思いのほか静かにつぶやいた。「最後まで貯まったな」「そうだけど、……なんだよ、嬉しくないのかよ。僕が忙しい中仕方なく通ってやったのに」 ううんと彼は首を振った。「ううん、嬉しい。……キスしていい?...
2024.03.27 09:4417:明智が大学来る話「あっつ…………」(クソ、あいつ、見つけたら一発殴ってやる……) 九月末、まだまだじっとりした残暑にうなじをぬぐって明智はスマホを見直した。彼が通う私大はこの坂を登った先のようだ。住宅街のあいだをゆるゆると続くなだらかな坂道を見上げ、明智はげんなりとため息をついた。 彼の書類が自宅に忘れられていたのを見つけたのは小一時間前のことだ。久々の平日休みでのんびりトーストをかじろうとしたところで視界に入ってしまった。持ち上げてみれば今日が期限の事務書類で、おまけに彼とは連絡がつかない。『おい、書類忘れてるぞ。今日提出のやつ』『返事しろ』『おいゴミクズ』『提出しないとまずいやつじゃないの』『大学持ってく。死ね』 そうして今ようやっと坂道を登り終えたところだ。シル...
2024.02.23 06:0016:墓参り 七月の後半、さすがにスーツはぐっしょり汗をかいた。ひたいや首すじを何度もハンカチで拭き、明智はうしろを歩く彼を振り返る。「ごめん、……付き合わせて。暑いよね」 おなじくスーツを着た彼は水の入った木桶を持ち直しながら、いや、と首を振った。「一緒に来たかったから」「……そう。……ありがと」 青空がときどき曇る空の下、よく掃除された立派な石畳を革靴で歩いて二人で墓地をゆく。青山からほど近い、由緒ある寺の霊園だ。墓参りの荷物が多いので今日は彼の運転するレンタカーで一緒に来た。 東京のお盆は七月の半ばで、そこから一週間ほど経っているから人影はもうほとんどなかった。さぞ立派だったろう花束があちこちの水差しでカラカラにしおれている。 メモ書きのノートを片手に目的の...
2024.02.09 11:5515:誕生日回 六月一日夜、彼はスーパーの袋を両手にたずさえ明智のマンションにやって来た。 明智はいつになくすんなり彼を家に上げて、ちら、と彼の手元を見やる。彼は食卓にドサリと荷物を置いた。「誕生日、祝いにきた」「……へ?」 明智はいささか動転した声を上げ、それからコホンとせきばらいをした。あのさあと片手を振る。「その……もしかして、一日勘違いしてる? あの、明日、なんだけど……」 彼はきっぱりと首を振る。明智に初めて聞いたときからその日付ははっきり覚えていた。「二日、日曜だし。当日の零時から三日の零時までめいっぱい祝おうと思って。ケーキの材料買ってきた」 明智は困ったようなむずがゆいような、笑いたいような、あるいはそれをこらえるような複雑な百面相をした。それからぽ...
2024.02.09 11:5314:明智がスタンプ貯めてる話 遅くにルブランのドアが開いて、モルガナはあわててニャオンと店の奥に隠れた。客もなく惣治郎も先ほど上がって、カウンターの向こうでぼんやりしていた彼は顔を上げ、とたんにパッと明るくなる。「明智!」「……こんばんは」 いつもどおりムッツリした顔の明智はドアを閉めてカウンター席に掛けた。「ニャんだ、明智か! 最近よく来るじゃないか」 明智のとなりの椅子に飛び乗ったモルガナがほがらかに言った。どうもと明智もあいさつする。「ブレンドひとつ」「いつものって言ったらいいのに」「……うるさい、さっさとしろ」 彼はニコニコしながらコーヒー豆の袋を持ち上げた。『いつもの』で通じるくらいにこの頃明智はよく店に来る。季節はすっかりいい時期になって、今夜は上着もはおらずワイシャ...
2024.02.07 13:1413:温泉旅行スペシャル[R18]※18歳未満の方は閲覧ご遠慮ください※ 首都高に乗って浦和から東北道に入ると、ゴールデンウィークの下りはさすがに混んでいた。ハンドルに両手をくたりと置いた彼はときどき思い出したように眼鏡を直し、助手席の明智はふわあとあくびをする。 レンタルの乗用車の窓からピカピカの五月の陽ざしが照らしていた。いかにも行楽日和らしい渋滞だ。「佐野で昼にしようと思ってるんだけど」 オートマ車のブレーキをじりじり踏みながら彼が言った。緑の増えてゆく景色をながめていた明智が振り返る。「佐野……だともう、栃木だっけ?」「うん。栃木の入り口。大きなサービスエリアがあるからそこがいいかと思って」「ふうん、いいよ」 明智はなにげなくうなずいたが、内心はいつになくワクワク弾んでいた。遠...
2023.12.12 14:3012:主人公が全然来ない話 カウントアップはシンプルなダーツの遊び方だ。二十四回投げ、その合計が自分の点数になる。最高得点は一四四〇点で、千点を超えるあたりがプロの目安らしい。 明智は自然体で構え、台に向かってステンレスの矢を持ち上げた。ゆっくりと息を吐き、慣れた仕草で左手を振る。真ん中よりすこし上、細い赤枠に吸いこまれるようにしてそれは突き刺さった。このボードで最も得点の高いエリアだ。 けれど明智はピクリとも眉を動かさず、淡々とそれを引き抜いてため息をつく。(……面白くない) 以前はひとりで投げるのも好きだった。上達して機械の点数が上がっていくのは楽しかったし、誰か相手がいなくても十分遊べるのがこのゲームのいいところだ。 でも、今日はどうにも興が乗らずに台からすこし離れた丸椅...
2023.12.11 11:4711:主明がお花見行く話 はらはらはらはら、雪のように淡い白が風に吹かれてやわらかに夜空を舞う。 九段下の駅を出て坂をのぼると、千鳥ヶ淵は花見客や仕事帰りの背広でざわざわと揺れていた。すっきりとよく晴れた半月の晩で桜は満開、堀の向こうの武道館はいつになく誇らしげだ。 公園の入口のコンビニで温かいペットボトルの紅茶を買って彼が待っていると、ややあって明智も混雑した店から出てきて左手を上げた。黒い手袋にカクテルの缶がにぎられている。彼は黒縁の下でうらやましげな目つきをした。「いいな、外で飲めるの」「こら、外でとか言うな未成年」 同じく人避けに眼鏡をかけた明智はいかにも年上ぶってそう言って、めずらしくふふっと楽しげに口角を持ち上げる。「ま、僕は去年から解禁になったからね。たまに飲む...
2023.12.10 10:5710:鼻血が出るほどラブラブエッチの回【R18】※18歳未満の閲覧はご遠慮ください※ 白くて楚々として、いい香りがして上品だ。大学の帰りに渋谷の駅地下で買ってきたミニブーケを明智の一LDKの食卓に置き、キッチンの戸棚からてきとうなコップをとりだして机に花を飾る。 玄関を開けてからひたすら不機嫌に彼のようすを見ていた明智はソファで長い脚を組み、それ、なに、と硬い声を出した。花びらをいじっていた彼はゆっくりと顔を上げる。「ホワイトデーで売ってたから買ってきた。かわいいだろ?」「……そういう問題じゃなくてさ、僕君にチョコレートなんてあげてないよね? って話をしてるんだけど」 明智はあきれたため息をつき、彼はひと月ほど前のことを思い出してわずかにうつむいた。(あのときの明智、かわいかったな……) いや、明智...
2023.12.09 10:3609:明智がルブラン来た回「お前、今日はもう上がってもいいんだぞ」 ブランドのカップを布巾でふきながら惣次郎が言った。キッチンの作業台にもたれてぼんやりしていた彼はきょとんと顔を上げる。壁の時計はまだ二十時だ、たしかに客はいないが閉店というにはすこし早い。なんでという目つきで惣次郎を見やれば、惣次郎は呆れたため息をついた。「二、三日前まで風邪で寝込んでたろ。病み上がりなんだから、無理すんなっつってんだよ」 彼はああ、とうなずいた。明智からもらった、というか明智から吸いとった風邪で数日ほど休んでいたのだ。 でももう治ったと首を振る。今日はいつもなら惣次郎がデートに出かける曜日だ。行ってこいとジェスチャーをすれば惣次郎は片眉を持ち上げて、ガキが気ィ遣うんじゃねぇ、と彼のひたいを指で...
2023.12.08 10:3408:明智が風邪引いた話 頭がぐるぐるずる。体中があづくで最悪だ。 寝室のベッドに大の字になって、明智は揺れる天井をぼんやりと見上げていた。朝起きてなんだか変だと思って測った体温は三十九度近く、警察の担当者に送る定時の連絡一通打つのにしばらくかかった。熱が出ているので今日は作業ができない旨伝え、解熱剤だけ腹に入れてベッドで倒れている。 二月の東京はまだ冷えて、昨晩は遅くまで外で調査をしていたからどこかで悪い風邪でももらったのだろう。どことなく息苦しい胸を上下させてなんとか呼吸をしながらそう思う。 体調を崩すのは不慣れで思考が上手いことまとまらない。パジャマの右腕をひたいにあて、ハアッと大きく息を吐く。 幼いころ風邪を引くと移すなと言われて母に追い出されて死にそうになったから、...
2023.12.07 10:3307:バレンタイン【R18】※18歳未満の方は閲覧ご遠慮ください※ その日明智の家に来た彼は、白地に銀のフォントでブランド名が入ったシンプルな紙袋をコートの肩にさげていた。食卓のテーブルに置かれるとドスンという音がして、中身はそうとう重いことがうかがえる。いつもの流れで家に彼を上げてしまった明智は苦々しい顔つきで黒革のソファに座りこんだ。「ねぇ、……それ、どんだけあんの? すごい匂いなんだけど」「さぁ……数えてないからわからない。こっちにもあるから」 彼はそう言うと大学用のリュックを開け、その匂いはそう広くないリビングにますますもって充満する。いかにも二月十四日のチョコレートの香りに明智はソファでげんなりと脚をくずした。 この男がモテるということはよく知っていた。どうやら怪盗団の...