03:クリスマス

 赤、緑、金、白いモールに銀のオーナメント。十二月の東京はどこもかしこも浮かれている。街を歩けばクリスマスの音楽が流れ、店頭にはプレゼントの山がならび、夜になるとそこら中の木にイルミネーションが点く。

(ほんっと、バカみたいだよね)

 カシミヤのマフラーに鼻までうずめ、丸の内のやかましい光の木々のあいだを明智はむしゃくしゃと闊歩する。歩道には夕方の点灯式を楽しむカップルが何組も立ち止まっていて、会社帰りの背広にまじってそれを避ける自分の姿はなんとも哀れに感じられた。警察の用事で東京駅の近くまでやってきたのが思ったより長引いて午後いっぱいかかってしまったのが腹立たしい。

 通りの途中の信号で立ち止まって、明智はふうっと白い息を吐いた。すぐそばのビルには背の高い真っ白なツリーがそびえていて、明智はかたちのいい眉を不機嫌によせて木の横の浮かれたサンタをにらみつけた。

 昔からこの季節は嫌いだ。

 クリスマスといえば母親は男とデートで明智はケーキひとつゆっくり食べたことがない。親戚の叔母は自分の息子たちに特別な贈り物をして、明智にはそのついでに新しい文具を買い与えた。パーティするような相手ももちろんいない。

 そもそも明智自身の誕生日ですらまともに祝われたことがないのにどうして二千年も前の時代の知らない人間を祝わないといけないのだろうか。みんな浮かれやがってクリスマスなんてまったくクソ食らえだ。

 荒みきった目をして長すぎる信号をじっと見ていると、ランプが青に変わった瞬間コートのポケットに入れていた携帯が振動した。業務連絡だろうかと開けてみて明智はわずかに赤い目を見ひらく。

(……あ、)

 それは彼からのメッセージだった。明智の新しい携帯を知る相手は少ない。仕事関係をのぞけばあとはもうひとりしかいない。そのひとりから短い文面が届いている。

『二十四日なにしてる?』

 明智はしばらく立ち尽くした。後ろからやってきたサラリーマンがじゃまくさそうに通りすぎていくのでハッとして横断歩道のわきによける。かじかむ手でしばらくスマホをにぎりしめ、ややあって返事をする。

『別になにも。予定があるわけないだろ』

 何度か書き直してそう送ると、しかし彼は既読をつけただけでなんとも言ってこない。

 寒空の下でしばし迷い、明智はぐるりと身をひるがえしてもと来た道を行った。前をキッと向いて冷たい風を切り、浮かれた丸の内の通りをきょろきょろと見回して歩く。

 さっきまであんなに憎たらしかったプレゼントの山々をひとつひとつじっくりとながめて、明智は小さな雑貨屋に入った。輸入の食器や日用品が置かれている。

 彼が好きそうなものをと考えて、それからブンブンと首を振る。

(……いや、たまには自分用にプレゼントでも買おうと思っただけなんだ、あいつは関係ないし……そりゃ、すごく好きそうなものがあったら買ってやってもいいかもしれないけど……)

 誰に言い訳するでもなく内心でぶつぶつ考えていると、在庫を並べていた若い女性の店員が気を利かせてこちらに声をかけた。

「プレゼントをお探しですか?」

「えっ! ……あっ、いや、その………………………ハイ」



 明智は悔しさでほんのすこしだけ泣きそうになった。今度彼に会ったら思いきりスネでも蹴飛ばしてやろうと思いながら、親切な店員に向かって明智は口をひらいた。

 クリスマスというのは厳密にいうと、二十四日の日没以降を指すのだそうだ。今日の昼間にスマホで見た。今夜は十六時半には日が沈んだらしい。ひとりのマンションで退屈だったのでやっぱりそちらもスマホで見た。

 黒革のソファにだらしなく寝そべって携帯をシャツの胸に置き、明智はぼさっと天井を見つめている。

 なにしてると聞かれてから一週間ほど、けっきょく彼からの連絡はひとつもないままクリスマスは当日になった。壁かけの時計は二十一時半をまわり、明智はぼんやりとスマホをながめたり閉じたりしている。

(……つうか、来ないのかよ!?)

 言う相手すらもいないので内心でつっこんだ。むなしい。ぐにゃりと身を折ってソファでうつぶせになる。気に入りのストライプのワイシャツはひどいシワだろう。どうでもいい。わざわざ好きな服なんか着て昼から構えていた自分がバカみたいだ。革張りに顔をうずめてひとり呻く。

 いつもより入念に掃除されたリビングはピカピカで、寝室には一応買ってきたプレゼントをしまってあり、食卓にはデパ地下で買ったチキンが置かれていた。プラスチックのパッケージを開けられ半分とすこしほどかじられている。彼が来ないのでムシャクシャして明智が食べた。ぜんぶ食べたらかわいそうかもと思って残してやったのにやっぱり音沙汰はない。今日にいたるまで一応確認の連絡をしようと思ったこともあったが来るのか来ないのかこちらから聞くのはプライドが許さなくて結局できなかった。

 真新しい冬色のカバーをかけられたクッションを抱いて、明智は手持ちぶさたにしかたなくテーブルの向こうのテレビをつけた。クリスマスで家族旅行にいくはずがひとりだけ残されてしまった少年の映画がかかっている。いつもなら不快ですぐ消していたが今年はやけに親近感をおぼえて明智は画面にじっと見入る。

 家にやってきた泥棒を主人公が撃退していくストーリーだ。自分の家にも怪盗がやってくれば退屈しないのにと思って、当の怪盗は連絡ひとつすらよこさないことを思い出してイヤな気持ちになったのでテレビはやっぱり消した。

 しばらくゴロゴロして、仕方がないから仕事でもしようと起き上がって、仕事は今日までに完璧に終えてしまったのを思い出してけっきょくまたソファに横になる。

 何回かそれをくりかえしたところでもうすべてがイヤになって、冷蔵庫に冷やしていたボトルのワインをあけた。グラスに移しもせずそのまま煽って何度かむせ、ゲホゴホとやりながらシャルドネを嚥下する。

 三分の一ほど飲んだところで酔うというより腹がいっぱいになったので床に瓶を置いた。フローリングで膝を抱え、ぐす、ぐす、としばらく背中を震わせて疲れた目もとをぬぐい、ワインの瓶を抱えてよろよろ寝室に歩く。

 電気もつけずにベッドサイドに瓶を置いて、明智はぼふりとベッドに飛び込んであお向けになった。アルコールで頭がフラフラしてお腹がぐるぐるする。弱いほうでもなかったがまったく酔わないほどの量でもなかった。いっそのこと吐くほど飲めたらスッキリしたかもしれないのに、中途半端な不快感で身体が重い。

 なんとか眠ってしまおうと寝返りを打ってみたが上手くいかず、ワインを飲んだり座ったり寝てみたりして、ハアアと深いため息をつく。

(はあ……ホント、サイアクだ)

 今までで最悪のクリスマスと言ってもいいかもしれない。例年ならひとりで仕事をして、いつものように布団に入って寝ていたはずだ。それが『彼』の一言でこんなことになった。

 彼が予定なんか聞いてこなければ明智はプレゼントなんて買わなかったのに。チキンもワインも用意しなかったし、前日からせっせと掃除もしなかった。仕立てのいい服を着て昼からきちっとしたりはしなかった。

(あいつ、ほんと、ぜったいころす、ぜったいぜったいぜったいころす)

 回らない頭で呪詛の言葉をくりかえしていると、しかしそのとき思いがけずインターホンが鳴った。明智はきょとんと身を固める。

「……え?」

 ベッドの上でまるくなっていればガンガンと玄関をたたかれて、明智はあわてて飛び降りた。ふらつく足どりで廊下をすぎ、ガチャリと勢いよく玄関のドアをあける。

「……あ、」

 なんだ、起きてたのか。スマホを片手に持った彼がこともなげに言った。明智は力もなくへなへなと座り込んで、怒りたいやら泣きたいやら、あるいはほっとするやらどうしたらいいのかまるで自分がわからなくなった。

「? 大丈夫か?」

 全然大丈夫どころでない明智を彼の手が抱き起こして後ろ手に玄関の鍵をかけ、彼はさっさと明智を寝室のベッドに連れていく。いつものように押し倒されたところで明智ははっとして、いやちょっと待てと彼の胸を押した。

「ちょっ……な、なに普通にヤろーとしてんだよ!?」

「? いつもしてるだろ?」

「そっ、そ、そうじゃなくて!」

「風呂か? なら待ってるけど」

「そういう意味でもない!!!!」

 いやこいつホントに最悪か??????

 信じられない気分で明智は自らをかばうように両手を自分の胸にあて、こんな夜中にやってきた怪盗を正面からまじまじ見る。

 いつもの黒いVネックに上品なグレーのコートをはおってバイカラーのマフラーを外した男が悪びれもせずに平然と目の前に座っている。明智は困惑しながら言った。

「え……っ、いや、おま、お前、だって、てっきりもう来ないのかと、」

 彼はきょとんと小首をかしげた。明智はいやいやと首を振る。

「いや来ないって思うだろ!? こんな時間で!?」

「約束してなかったから。明智が待ってると思わなかった」

「は……………ハァ???????」

 自分でも渾身のハァ?が口から出ていたと思う。ルブランでクリスマスパーティーをやっていた、終わって終電に間に合いそうだったので来た、ということを彼はこともなげに言った。明智はあんぐり口をあける。もはや怒る気力もない。意味がわからない。マジでわからない。

「えっ……ぱ、パー、ティー……?」

「知らないのか? クリスマスは集まって祝うんだぞ」

 そんなことを言ってるわけではないのだ。明智が呆然としていれば彼はようやく察したようすでうなずいてみせる。

「明智、ああいうにぎやかなのは苦手かと思ったから」

(いやそれでも一応声はかけろよ!?)

 たしかに断ったかもしれないがそれはまた別の話だ。

「え、ていうか、……終わったから来たって、え、……え?」

「会いたかったから」

 きれいな顔でまっすぐ目を見て言ったらなんでもゆるされると思っているのだろうか??

 明智はますます脱力して、力のない手でとりあえず何発か彼を殴った。怒っているのがようやくわかったのか彼は癖っ毛をくしゃりとかいて、悪かったと言う。

「待ってると思わなくて、遅くなった」

「まっ……! ま、待ってない!!」

「テーブルにチキンがあった」

「!! 自分用だし!?」

「いつもよりオシャレな服着てる」

「!!!! いっ、い、いつもオシャレだし!?!?」

「悪かった、来年はもっと早く来る」

 彼はそう言って明智の頭をくしゃりと撫でると、そっとキスをしてシーツにやさしく押し倒した。両手で抱き締めて顔中にキスを落とし、ぴたりと身体をくっつけて明智の唇にふれてくる。明智はキスの洪水でほとんどおぼれそうになった。待て待て待て、と顔を離してキッとにらむ。

「なっ、なにいいカンジにしゃれこもうとしてんだよ!?」

「ダメか?」

「ダメに決まってんだろ?!?!」

「そうか」

 彼は残念そうな顔をして、しかしいつものように無理やり行為になだれこむ気はないのか黙ってぎゅうっと明智の腰を抱いた。向かい合って抱き合うかたちになり、明智は思わず真っ赤になる。ベルトのあたりに彼のそれがふれている。ズボンを押し上げて硬くして、けれど彼はそれ以上を明智にしようとしない。ダメって言ってもいつもはするくせに、明智を待たせたのを一応彼なりに反省したらしい。

 腕の中で明智はすっかり固まってしまった。恥ずかしかったのでさっきは怒ったが正直続きをされるのはやぶさかではなかったし、たとえ怒ってもそのまま流されるものとばかり思っていた。こんなふうに気遣われてしまうと逆にどうしたらいいのかわからなくなるではないか。

「あ、っあの……あー…………どうしてもって言うなら、まあ、ちょっとくらいは、」

「明智が嫌がるならしない」

 彼はきっぱりと言い切った。明智は内心でブチキレる。この男はどうしてこう上手くいかないのだ。こっちはさっさと手を出せと言ってるのに彼はしおらしい目をしておでこにキスをするばかりで明智のお腹に我慢したそれを押しあてている。

 ぐるぐるぐるぐる迷って、明智はア〜〜ッッと叫んで彼の身体を押し倒した。馬乗りになって乱暴に服を脱がす。

「なっ……あ、明智!?」

「うるさい!! さっさとデカくして突っ込めよ!!」

「えっ……え?」

「〜〜〜〜っだから! こっちはずっと待ってたっつってんだよ、このバカ!!!」

 もうどうにでもなれだった。彼は目を白黒させていて、明智はヤケクソで自分の服を脱いだ。

「……はぁ、もぉ、ホントに最悪のクリスマスだよ」

 パジャマに着替えてリビングのソファに座りこみ、温めなおしたチキンをかじりながら明智はぼやいた。となりでドライヤーを終えた彼も手をのばして骨つきの照り焼きを頬ばる。

 深夜すら過ぎていたがもうどうでもいいやと明智が指を舐めていると、彼は思いだした顔つきで廊下からなにかを持ってきた。白い紙の箱から取り出されたのはホールケーキの一ピースだ。かわいらしい苺のショートケーキが小皿にのせられる。

「ルブランでもらってきた。明智の分」

 明智はしばしそれをながめて、おそるおそるといった手つきで差し出されたフォークをとり、真っ赤な苺に突き刺してクリームごとぱくりとやってみる。爽やかな酸味と甘みが口の中に広がって、生クリームは上等な味がした。ぱちくりと何度かまばたきして、明智はもうひと口かじってみる。スポンジがやわらかくてホワイトチョコレートが入っている。口の中でパキパキと音がするのが心地いい。

 ケーキなんて何月何日に食べても変わらないはずなのに、なぜだかあんまりおいしくて泣きそうになった。唇の端にクリームがついていたのか身をかがめた彼がキスしてそれを舐める。顔を離そうとするのを指でつかんでそのまますがる。彼の舌はとまどいをみせたが悪い気はしない仕草で明智の唇にふれた。

 角度を変えて何度かキスをして、ときどきケーキを頬ばってまた口づける。めずらしく明智が甘える姿にやや目を見はったようだったが、彼はなにもいわず明智のとなりに座って細い腰を抱いた。こういうときばかりはこの男の無口がありがたい。

 明智がきれいに一皿食べ終えると、彼は鞄からもうひとつ小ぶりな紙袋をとりだして明智にやった。今度はなんだと明智は中身を見る。なんだか上等な深緑のラッピングだ。

「プレゼント。……遅くなって悪い」

 明智は紙袋と彼とを見比べた。正直押し倒す前に渡せと思ったがそれより中身に対する興味がまさって、丁寧に包まれたそれをゆっくりと剥がしてみる。

 しかし途中で、ふと指が止まった。あけてしまうのがなんだかもったいなく感じられたのだ。手を止める明智に彼はふしぎそうな顔をする。

「開けないのか?」

「ん……うん……開けるけど……」

 こんなにワクワクする気分を明智はこれまで味わったことがない。雲の上にでも座っているような、自分が世界の王さまにでもなったような心地だ。開けてしまったらそれがまるで風船みたいにしぼんでなくなってしまうような気がしてどうにもためらってしまう。

 彼はううんと首をひねって、そうしてぼそりと言った。

「……もし気に入らなかったら、来年はもっとよく選んで買うから」

 明智ははたと顔を上げた。一年後にまたこんな思いをしていいのか。そういえば来年はもっと早く来るって言っていた。明智は唇をぎゅっと噛んで、そろそろと包みを開けてみた。

 ーー白地に上品な金の模様が入ったコーヒーカップだ。店で見つけてあわててバイトを増やしたのでしばらく来られなかったと彼が言った。

 繊細な持ち手をつかんで上から下までながめてみて、うつくしい造形に明智はほうっとため息をつく。男のひとり暮らしだからキッチンにあるのは割れにくいマグカップばかりで、こんな繊細なカップがやってくるのは初めてだ。

「まあ、……キミにしては、わるくないんじゃないの」

 明智なりに褒めれば気に入ったんだなと彼は満足げにうなずくので、調子に乗るなと明智は彼の胸を小突いた。それからハッとする。

「……コーヒーカップ」

「え?」

「買ってたんだ、僕も」

 彼のクリスマスプレゼントにと思って、あの女性店員に案内されながら選んだのだ。……まさかのプレゼントかぶりだ。明智はとたんにカアッと恥ずかしくなって、カップを安全なテーブルに置くとポカポカと彼を殴った。

「お前っ! なんでっ! こういうところでかぶせてくるんだよッッ!」

「あだっ! あけ、あけち、いたい……!」

「うるさいうるさいッ! お前がわるいんだろ!!」

 彼は眼鏡をかばってなんとか明智の手を避けて、ぎゅうっと無理やり明智を抱き締めた。手を止められてもキャンキャンと吠える口を口でふさぐ。やかましいキスをしばらくして、明智がおとなしくなったところでぽそりと彼が問うた。

「……最悪のクリスマスだった?」

 明智はムスッとそっぽを向いて、教えてやらないとうそぶいた。

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