04:釣り堀行く話

●過去の話。ロイヤルのエンディングから1年後くらい。ネタバレと捏造が多いです



 東京は広くて狭い街だ。一度雑踏ではぐれるともう会えないと思うのに、あるときふっとまた再会したりする。

 明智は久々にその感覚をおぼえて、クラリとめまいがした。吉祥寺の街角でおもわず卒倒しそうになり、半袖からのびた手首を目の前の男にガッチリつかまれて止められる。

 男、――一年とすこし前別れたはずの、元怪盗団のリーダーはわずかに大人っぽくなった顔立ちで明智をみつめていた。互いにまったく偶然出会ったものだから彼の目にもまた動揺が見てとれる。明智は気まずさに唇を渋らせてもごもごと言った。

「……あの、手、いいかげん離してほしいんだけど。……痛いんだよ」

 眼鏡の奥の黒目がハッとして握力は一瞬ゆるんだが、しかし彼は明智の手首を離そうとはしなかった。明智はいらついて声をとがらせる。

「ねえ、離してって言ってるじゃないか」

「……明智、」

「っ……な、なんだよ」

 久々に聞いた声は以前より幾分低く色っぽく感ぜられて明智はたじろいだ。彼はやはり真剣に明智をながめ、そうしてゆっくりと口をひらく。

「ーー背、縮んだのか」

 その場で殺傷事件が起きなかったのは、ただただ明智が警察の観察下にあったからである。



 初夏の日差しがジリジリと降りそそぐ東京で、去年より背が伸びたらしい彼は何度殴られ引っかかれても明智の手を離さずに引いてJRの駅に向かった。

「ねえ、ねえってば! どこ行くんだよ、僕ついてくなんて一言も言ってないんだけど!?」

「すぐ着く。着いたらジュースでも買ってやるから」

(五歳児かなにかだと思ってるのか??)

 明智はホームでチワワみたいにキャンキャンと吠えていたがさすがに電車内では大人しくせざるを得ず、彼の足が市ヶ谷で降りるとしかたなく連れられて一緒に降りた。

 駅から十分ほど歩いたところにある釣り堀がどうやら目当ての場所のようで、顔見知りらしい中年の主人に会釈すると彼は折りたたみの椅子を二つ置いて堀の前に座った。

 ようやく解放された手首をさすって明智もひとまず布張りの小椅子に掛ける。七分丈の黒い上着をめくり、慣れた手つきで釣り竿を仕掛ける横顔にねえ、と話しかけた。

「なんなんだよ、こんなところに連れてきて何の用なのさ、僕仕事中だったんだけど?」

「……探偵の仕事、続けてるのか」

「! ……今は、警察の手伝いだけど」

 勢いでよけいなことを言ったと明智は顔をしかめた。お互いの近況なんて聞くような関係でもないだろうに。

 しかし口もとに手をやってすこし考え、ちらりと彼の方を見やる。

「……そっちこそ、地元に帰ったって聞いたけど」

 冴からの情報だ。検事局で時おり顔を合わせる。

 明智の表情を横目でうかがって、彼はぽとりと水面に糸をたらした。今年の春から大学に入って東京にもどってきたのだと言う。

「ふうん……じゃあ、またルブランに?」

「そうだ。明智は?」

「フン、教える義理ないね」

「知りたい」

 明智はきわめて不細工な顔をしてみせた。あいかわらずズケズケズケズケマイペースな男だ。明智の意思なんて関係ないみたいに好き勝手に突っ込んでくる。明智は黙りこんだが彼もまた頑なで、西日がちりちりとうなじに照りつけて明智はハアッとため息をつく。脚をくずして雑に座りなおした。

「『アレ』からけっきょく警察の仕事をさせられてるんだよ、未成年ってことで実刑は免除になって。……まあ、明智くんなら普通の警察官百人分の事務処理をしますよって冴さんが口添えしてくれたからなんだけど。おかげで毎日つまんない仕事ばっかだよ」

「……一人で住んでるのか」

「そうだよ」

 明智がすんなりうなずけば今度は彼が口ごもって、わずかにためらったようすを見せてから、彼はそっとたずねる。

「その、あー……体は大丈夫だったのか」

 あいまいな質問の意図を明智は苦もなく察してああ、とうなずいた。五月のまっさらな空を見上げ、己の記憶をふりかえる。

 シドウパレスで深手を負った明智は現実の世界で昏倒していたところを人に見つかって病院に運ばれ、それから二、三ヶ月は眠ったままだった。二月の三日に目が覚めてからもしばらくは記憶が朦朧としていて、一刻も早く取り調べがしたい警察の人間にはずいぶん嫌な顔をされたものだ。

 日が経つにつれてすこしずつ絡まっていた記憶はもとにもどって、本当のところはわからないが明智が類推するかぎり、明智の精神は目が覚めるまでパレス世界のどこかをさまよっていたのではないかと思う。怪盗団のみなと一緒になって敵に立ちはだかった覚えもおぼろげにある。

 けっきょくのところ自分は生き残ってしまったのだと気づいたときにはほとほと呆れたものだ。昔から大人に蹴られても殴られても人間の体は頑丈で、そうして明智はまた死ななかった。おめおめと生きることと潔く死ぬこと、どっちがよかったのか果たして明智にはわからない。ただ生き残ってしまったから呼吸して生きている、それが今の自分だ。

 細かいところをはぶいておおよその説明をすれば彼は得心がいったようすで、そうかとひとつうなずいた。そうしてそれぎり動きもせぬ竿をみつめている。

 明智はいささか不機嫌に眉をよせた。

「そうかって……なんだよ自分で聞いておいて、他になんかないわけ?」

「明智が生きててよかった」

「っ……」

 直接な言い方に明智はしまったと思った。今の聞き方ではたしかに、自分がそう言ってほしかったみたいではないか。気まずさに心臓がドクドクして、明智は汗ばんだシャツを直すふりをして胸のあたりをそっと撫でる。

(……なんだよ、なんでそんなにすんなり言えるんだよ)

 顔が熱い。こんな日差しの真ん中にこの男が連れてくるせいだ、明智は日焼けなんか嫌いなのに。嫌な汗をかいた手のひらをぎゅっとにぎる。

 本人すら生き残ってしまったと感じていたのに、自分にそんなことを言う相手がいるなんて明智は想像もしなかった。家族もいなければ友だちもいない。獄中の獅童と面会する気もなかったし明智にはなんにもなかった。なかったはずだった。

(……なのに、)

 この男は明智が生きててよかったという。空が晴れててよかったとか、そんな当たり前のことみたいな言い方をする。

 明智はどうしていいのかわからなくて、口をすぼめたり、ため息をついたり、脚を組み替えたりしてみた。

 彼はやはりじっと黙って釣り竿をにぎっている。釣り堀というわりには設定が渋いのかそれとも彼に釣る気がないのか、糸はのんびりと垂れたままだ。沈黙に耐えられなくなって明智はぼそりと口をひらいた。

「……なあ、楽しいのかよ、これ」

「楽しい」

「どこが」

「明智の顔が面白い」

「ハァ!?」

 明智は椅子から乗り出して彼に突っかかった。まったく失礼な男だ、明智はそんなこと言われたことがない。どちらかといえばカッコいいとか、ときどきかわいいとか、たいていはそんな言葉だ。それのなにが面白いのかたずねれば彼は笑って、百面相しているのがいいと言った。明智はブスッとふくれてイヤになる。

 相手をするのもバカらしく立ち上がっていいかげん帰ろうとすると、しかし彼の声がそれを止めた。

「帰るな、そこにいろ」

「な、なんでだよ」

「いてほしい」

 明智は革靴を持ち上げて、やっぱりやめて、何度かくりかえして、しかたなくまた椅子に腰をおろした。

 日ごろ顔を合わせるといえば警察の人間とたまに冴くらいのもので、友人みたいな誰かとこんなふうに何にもない時間を過ごすことはほとんどなかったし、それに昔から厄介者扱いであっちに行ってろとばかり言われてきたからそばにいろなんて言われると明智はどうにも断りきれないのだ。

 明智がふてくされて座っていると彼は思い出したように自販機でオレンジジュースの缶を買ってきて渡して、それから気まぐれに竿を振り直して一応釣りをしているポーズをとる。

 平日の午後で二人のほかに客はなく、店主はタバコを吸っていて、魚は昼寝をしているようだった。西日はゆっくりと傾いて二人の影のかたちは変わり、なにを話すでもなく、ただ彼と明智は黙ってそこに座っている。

 オレンジジュースなんて子ども扱いをするなと明智は文句を言ったが飲んでみると冷たくて甘くておいしかった。


 空になったアルミ缶のフタをいじいじといじりながら、なぜだか心が落ちつく気がして明智はふしぎだった。顔も見たくない相手と再会してしまったのにどこかでこの日を待っていたような、今日がくるのを知っていたような思いがする。

 初めて会ったときから奇妙な因縁を感じていたのは本当で、この広い東京で、ぞろぞろと人々の暮らす街で、しかしいつかまためぐり合う予感はどこかでしていた。あるいは今日のために自分は生きていたのかもしれないという気さえする。

 斜めになった日差しが横殴りに照りつけてくるのを感じながらそんなことを思っていると、しばらく微動だにしなかった彼はふと、ぽつりとつぶやいた。

「……待ってたんだ」

「え?」

 ぼんやりしていた明智はぱちくりとまばたきした。水面をまっすぐにみつめ、彼が言う。

「ずっと、待ってた。ーー明智に会えるんじゃないかと思って、ときどきあの街に行ってた」

 明智は、ーー明智は今度こそなんと返せばいいのかわからなかった。なぜだか目蓋がひどく熱くなって、ひりついた喉をこするようにしてなんとか声を出す。

「……っば、バカ、なんじゃないの……っ一度は殺したんだぞ、キミを」

 彼を殺すのは自分だと思っていたし、自分を殺すなら彼をおいてほかにないと思っていた。それなのに彼は首を振る。

「でも、生きてる。……明智も、生きてる」

「そっ、そういう問題じゃ、」

「手袋だって返してない」

「いや、それは返せよ!?」

「いやだ」

「はあ???」

 明智は頓狂な声を上げた。意味がわからない。ムカついて背中をボカッと殴ったのに、彼は糸を軽く揺らした程度でこたえるようすもなければシャアシャアと言った。

「返さないかぎり、明智は死ねないだろ」

「なっ……! お、オレがそんな約束守ると思ってるわけ?」

「思ってる」

 明智は天をあおいだ。もうだめだ、話にならない。あいかわらず心底ヘンな男だ、心を盗まれてすっかり見透かされたような気分になる。こんなふうに明智を乱してくるのはこの男ただひとりだ。久方ぶりの感覚がなつかしく、……不本意ながら明智はそれが嫌いではない。

 釣り堀の主が気だるげにやって来てそろそろ時間だよと言った。料金分の二時間が過ぎるらしい。日はじょじょに暮れはじめていて、そろそろ帰りの時間が近づいているのに気付かされる。

 明智はしずかな赤い水面をじっとにらんでしばらく考えをめぐらせ、それから重たい口をひらいた。

「あ……のさ、昨日、カレー、作ったんだけど」

 彼は黙ってきいている。明智は指先でもじもじと前髪をいじった。

「あー……ひとりだと、明日もカレーだし……その、うち、ここから電車で15分くらいなんだけど」

「行く」

「ッ! ま、まだ誘ってないだろ!?」

「誘ってくれないのか」

「ぐっ……!」

 そのつもりだったが向こうから言われるとなんともばつがわるい。明智が地団駄を踏んでいると彼はさっさと釣り竿を片づけて帰りじたくを始めている。

 彼の背中を見ているとなんだか明智も怒っているのがバカらしい気分になって、空き缶を軽く放って捨てた。きれいな放物線を描いたアルミ缶は自販機の横のゴミ箱にまっすぐ吸いこまれる。カランカランと気持ちのいい音がしていた。

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