06:渋谷デート回

 買い物に行こうと彼が言うので、明智はてっきり、彼のほしいものを買うのだとばかり思っていた。JLの渋谷駅に降りると彼のスニーカーは地下街のモールへ向いて、土曜の昼下がりに無理やり連れ出された明智はしかたなくそれについていく。

 行き交う人々の熱がこもった暖かな地下街にやってくると、しかし彼はいろいろな品物を手にとっては明智にためした。雑貨屋や宝石店でブレスレットやらアンクレットやらを持ち上げると明智にあてて、うなずいたり首をひねったりするのだ。

明智はあわてて彼の腕を引いた。せまい店の横へと連れ出し彼に噛みつく。

「なんだよ、自分の買い物じゃないのかよ」

「? そんなこと言ってない」

「いや、だからって俺に買ってどーすんだよ」

「明智がつけたら嬉しい」

「こっちはちっとも嬉しくないんだけど!?」

 彼は明智の言っていることの意味がまったくわからないという顔をした。そんな顔したいのは明智のほうである。

 彼の耳たぶを引っぱって口もとによせると、明智はヒソヒソと注意した。

「あのさあ、さんざん言ってるけど僕と君は付き合ってるわけじゃないんだからね、君がなにか買っても俺がそれをつける義理なんかないし、そもそもプレゼントなんか買われてもこっちは困るんだよ」

 彼はすこし考える目つきをして、それから手をかるく振った。

「明智の部屋に置いておくから、気に入らなかったら捨てていい」

 人目を気にしてメガネとマスクをした明智は、それでもわかるくらいにブサイクな顔をした。外ヅラのいい明智にこんな顔させるのは世界中で彼だけだ。ブスッとしていると彼はそれをスマホで撮るのでコラッと怒る。

「コラッ! 消せ! バカ!」

「かわいい。待ち受けにする」

「ブチ殺すぞ!?」

「明智、あっちの店も見よう」

 ギャンギャン吠える犬を連れ歩く飼い主のような顔で彼はさっさとキャメルのコートを引っぱった。指輪の売り場に連れて行かれ、右手の薬指にサッとリングをはめられる。売り場の人間に目立たないよう明智はごく抑えた小声で彼に怒鳴った。

「おい!! ふざけんな!! これはないだろこれは!!」

「指ほそいよな。……よく似合ってる」

 明智に怒られ慣れている彼はそう言ってしみじみと明智の右手をとってながめる。指先をふいに絡められ、明智は細い肩をビクッとさせた。

 背丈はおなじくらいなのに、彼の指は明智のしろくしなやかな手とちがって骨っぽくてゴツゴツしていた。男っぽい手が明智の手のひらをつかみ、右手の薬指にひとつずつ銀の指輪をためしてはじっとみつめる。

なんだか大切な彼女にそうするような手つきでどうにもムゲにできず、明智はついつい弱腰になった。

「もっ、もぉ、や、やめろよ、ヘンだろ……男同士で……」

「渋谷はパートナー婚の街だぞ」

 たしかにニュースでそう聞くけれど、自分とこの男はまた話が別だ。お互い殺し合った仲なのだ。

 明智はなんとか指輪を引き抜くとほっと息を吐いて店から離れる。彼はいささか残念そうな顔で、その並びのコスメショップで苺のハンドクリームを買った。彼が使うわけないから明智の寝室あたりに勝手に置かれるのだろう。指輪よりはまだマシかと思ってとなりを歩く。

 モールの端にある花屋は以前彼がバイトをしていた店とのことで、彼が顔を見せると女性の店員はうれしげに冬の花を包んでミニブーケを明智にくれた。

「よく聞いてたんですよ、気になってる相手がいるって」

「えっ……いや、僕はその、」

「とっても恥ずかしがりやで素直に仲良くしてくれないって言ってました」

「…………」

 ペルソナの力がもしもまだあったら今すぐ八つ裂きにしていたのにと、明智は心底残念に思った。彼はまったく我関せずといった顔で、店頭の梅の花をながめていた。

 白梅とスイセンをベースにした清楚な花束を左手の手袋でぎゅうとつかみ、右手を彼に引かれて二人は渋谷の午後をゆく。空気は冷たかったが日差しがポカポカして心地よかった。

 スクランブル交差点で信号が変わるのを待っていると、明智の右手を持ち上げた彼は、寒くないのかとたずねてくる。

「こっち、手袋してないだろ」

 明智はきょとんとした。してないもなにも、この男が明智の黒手袋を返さないのがわるいのだ。仕方がないから明智はあれから左だけに手袋をしている。

「ていうか、君が返してくれればいいだけの話だよね?」

「それはいやだ」

 彼がいやだと言ったら絶対に引かないのを知ってるから明智も呆れてそれ以上は言わない。でも、と彼は口をひらく。

「今日は手袋買いに来たんだ。明智が寒そうにしてるから」

 明智は革靴でグリグリと彼のスニーカーを踏んだ。寒そうにしてるからじゃない、お前が返さないからそうなっているのだ。彼は身をかがめてつまさきを手でおさえて、大きな黒目の端に涙をにじませて明智をにらんでくる。明智は肩をすくめて青信号をわたった。

 休日でにぎわうセントラル街にやってくると、彼は明智に服でもなんでもポンポンと買った。大学生の本文はバイトらしく、彼は特に要領がいいから金に困るようすはほとんど見たことがない。

「ねぇ、僕どれだけ貢がれても感謝したりしないよ?」

 クレーンゲームの景品になっていたジャックフロストのぬいぐるみを片手に明智がぼやく。彼は首を振った。

「しなくていい。好きで買ってるだけだから」

「なにそれ、パパ活かよ」

「いいな、それ。お金ですごいことさせてもらえそう」

 金も払ってないのにいつも明智にすごいことしてるくせに。

 彼は花束やらぬいぐるみやら買い物の袋をひとつにまとめると長い脚でゆったりと機嫌よく人混みをゆく。ときどき昔のバイト先の知人とすれちがい、彼は愛想よく手を振った。明智は内心ですこし拗ねる。

 大胆不敵なこの男が誰とでも親しくするのはよく知っていた。必要があったから交友関係だって調べたし、調べれば調べるほどひとりぼっちの自分とは対極の存在に感ぜられて彼のことが嫌いになった。

(ていうかこんなに知り合いがあちこちにいるんなら、わざわざ俺なんかを無理やり連れ出さなくたっていいのに)

 明智がふくれていると、気づいたらしい彼は道の端で明智の顔をふとのぞきこんだ。

「明智、妬いてるのか」

「……君って自意識過剰だよね」

「明智はウソつくとき唇噛むよな」

 明智自身すら知らないそんな癖をサラッと口にしないでほしい。彼は明智のやわらかな茶髪をぽんぽんと撫でた。

「バイトの先輩にこんなことしない。……明智だけ」

 明智はますます不機嫌になった。明智の機嫌の直し方をすっかり心得てるこの男が嫌いだった。

 何軒も店をまわってそのうちの一軒で彼はようやくラビットファーの手袋を明智に買った。薄茶色でふわふわ手ざわりがよくて、指先のミトンの部分をはずしたりつけたりできるのが便利だ。さわり心地がいいのでまあこれなら冬の間つけてやってもいいかもしれないと明智も思う。

 目的のものを買って満足した彼は通りを見わたして、クレープでも食べようと言う。たしかにおやつどきで小腹の空く時間だ。若い女性がかわいらしい店の前にたむろしている。丸文字で書かれたメニューの看板を見下ろしてふむ、と明智は文字を追った。種類が多くて変わったメニューも多い。

「明智、どれがいい。好きなの買ってやる」

「ああ、えーと……」

 明智はしばらく答えに迷った。せっかくだから変わったものを食べてみたい気もするし、季節限定という文字には魅力があり、しかしここでオーソドックスなそれにいくのもまた乙のように思われる。

 ふと、子どもの時分を思いだした。親戚の大人は自分の子でもない明智の好みなんて知ったこっちゃないし、ときどきこういうおやつを買ってくることがあっても明智が食べるのはいつも最後の余りだった。こんなふうに誰かに選べとあらためて言われるのは新鮮な気分がする。

 懐かしい記憶をたどっているうちずいぶん時間がかかってしまったと横を見ればしかし彼は飽きるそぶりも見せずに明智を待っていて、明智は気になって彼にたずねる。

「ねえ、……早くしろとか、言わないわけ?」

 彼は思いもせぬ質問にふれたような顔をした。ゆっくりと首を横に振る。

「べつに。明智が考える顔見てた」

「……君、ホントに僕の顔好きだよね?」

「面食いなんだ」

「よく言うよ」

 行為の最中によく顔が見たいと言われるのを思い出し、明智はぽっと染まった頬をブンブンと振る。考えを散らそうとクレープに集中して、けっきょくよくあるブルーベリーのそれを頼んだ。

 明智に買ったくせに彼は食べる気分でもないのか注文を終えると店の横に退き、明智はできあがったホカホカのそれを頬ばる。生クリームがはみ出して唇の端につくと彼の手がすくって味見をした。いつものことなので明智はもう気にせずクレープを味わう。ブルーベリーの酸味がさわやかで濃厚なクリームチーズがリッチに使われていた。しばらく歩いて身体が冷えていたようでお腹がポカポカと心地いい。

 クレープ屋ののぼりの横に立って明智をながめていた彼がきいた。

「ブルーベリーが好きなのか」

「うん」

「そうか。覚えとく」

 自分の好きなものを誰かが知ってるってなんだかすごいことだ。彼にとってみればそれは当たり前のことなのかもしれないけれど、明智にとってそれは決して当然ではなかった。すこし迷って、彼をうかがう。

「君は?」

「え?」

「君はなにが好きなの」

「明智が好きだ」

 明智は思いきりジーンズのスネを蹴った。

「クレープの話だよ」

「うぐ………………ストロベリー系」

 彼は痛みにこらえながらもなんとか答えた。明智はふうんとうなずく。

「ふうん。……まぁ、覚えといてあげてもいいよ」

 明智は機嫌よく唇の端を持ち上げて言った。クレープをすっかり食べ終えペロリと自分の唇を舐める。

足をおさえていた彼は立ち上がると、マンションに帰るとおもむろに言い出した。

「え? 急だね」

「抱きたくなった」

「!」

 街中で突然言われて明智は真っ赤になる。おろおろとあたりを見まわすと、しかし若者たちはみな自分のことで頭がいっぱいで彼の言葉を聞いたようすの者はない。

なに変なところでスイッチを入れているんだと明智が目を赤くして視線で抗議すると、彼はうすく笑って明智の右手をとった。素手をつかまれて明智はどきりとする。これから部屋に帰ってこの手に抱かれるのだと思うとやけに心臓がどきどきする。

 身勝手な男がさっさと歩き出す背を見ながら、なんにも知らないくせにと明智はぼんやり思った。

 彼が右手を勝手ににぎるときの強引さが好きだから明智が左手だけ手袋をしていること、気づいてすらもいないくせにと、そう思いながら明智は交差点を行った。

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